スポーツ

石田政吾

石田 政吾(いしだ せいご、1970年10月30日 - )は、石川県野々市町出身の競艇選手。

登録番号3635。身長165cm。血液型B型。72期。福井支部所属。

来歴・人物

石川工業高等専門学校出身。2001年、尼崎競艇場で行われたオーシャンカップでSG初優勝。福井支部の中心選手である。 開会式の選手紹介ではいつも(力強い口調で)「頑張ります!」としか言わないので、競艇ファンの間では石田政吾と言えば「頑張ります!」のイメージが定着している。

2004年10月17日、住之江競艇場で行われた高松宮記念特別競走優勝戦で6号艇展示6コースの石田は本番で前付けして1コースに入ってしまいスタート展示違反で欠場(出遅れ扱い)。

それから2007年8月茨城 求人(ソープ)まで、住之江競艇から石田に対しての斡旋が無かった。2007年、三国競艇場内に放送された新年の挨拶では、他の選手が新年の抱負を述べるのに対し、石田は「あけましておめでとうございます」としか言わなかった。北陸放送の元アナウンサー笹原忠義によれば、エンジン整備などはあまり行わず、調子を聞かれても、ほとんど「ぼちぼちですね」としか言わないのでやる気がないようにも見えるという。

同じ支部の今垣光太郎選手とは大の仲良しだが、ぼーっとしていて普段あまり喋らないという。

SG競走優勝歴

2001年 第6回オーシャンカップ 尼崎競艇場

GI競走優勝歴

2000年 第47回常滑周年記念競走 常滑競艇場
2000年 モーターボート大賞 三国競艇場
2002年 ダイヤモンドカップ びわこ競艇場


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池田 浩美

池田 浩美(いけだ ひろみ、1976年(昭和51年)6月13日 - )は、静岡県出身の競艇選手。 登録番号3932。身長162cm。血液型A型。81期。静岡支部所属。競艇選手の池田明美は双子の姉。

来歴・人物
双子の妹。静岡県立磐田西高等学校在学中は剣道の強豪選手としてならし、1994年静岡県高体連個人戦で2位(1位は明美)になった経歴を持つ。明美より先に本栖研修所に入ったが、一度退所して再び入りなおし1997年11月の浜名湖でデビュー、2005年2月アクアクィーンカップ(住之江競艇場)で初優勝。2007年3月徳山競艇場・女子王座決定戦では姉妹揃って初の優出を決めた(優勝戦は4着)。

優勝歴
アクアクィーンカップ オール女子戦(2005年2月・住之江競艇場)
女子リーグ第7戦(2005年7月・桐生競艇場)

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池田 明美

池田 明美(いけだ あけみ、1976年(昭和51年)6月13日 - )は、静岡県出身の競艇選手。 登録番号3894。身長163cm。血液型A型。80期。静岡支部所属。競艇選手の池田浩美は双子の妹。

来歴・人物
双子の姉。静岡県立磐田西高等学校在学中は剣道の強豪選手としてならし、1994年静岡県高体連個人戦で優勝(2位は浩美)した経歴を持つ。

本栖研修所を経て1997年5月の浜名湖でデビューするもなかなか芽が出ず、一時は四期通算勝率で引退の危機もあり(ギリギリで好成績を残して免れた)、更に妹の浩美が先に優勝するなどの活躍を見せ苦しい時期が続いたが、2006年5月、2度目の優出しかも姉妹揃って初めての優出となった女子リーグ第3戦(多摩川競艇場)で初優勝。

それを期に勝率も上げていき、2007年前期からA1に昇格。2007年3月徳山競艇場・女子王座決定戦では姉妹揃って初の優出を決め、優勝戦では道中先頭争いをするも2着に終わった。

優勝歴
女子リーグ第3戦(2006年5月・多摩川競艇場)
平和島レディースカップオール女子戦(2006年12月・平和島競艇場)

人物・エピソード
初優勝となった多摩川女子リーグの優勝者表彰式は妹の浩美と一緒に登場。

穏やかに式は進行していたが、(この日は母の日であったので)司会者が明美に母親に向けてのメッセージを求めたところ、表情が一変。実は、池田姉妹の母親は既に他界しており、感極まってしまったのか、明美は必死に涙をこらえながら「あんまり親孝行できなかったんで、これでちょっとは親孝行できたかなと思うんで、よかったです。」とコメント。

感動的な表彰式となった

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池上 裕次

池上裕次(いけがみ ゆうじ、1964年9月13日 - )は、埼玉県出身の競艇選手である。登録番号は3245。埼玉支部所属。58期。同じ埼玉支部所属の平石和男と同期。

来歴
1991年に、戸田競艇場での35周年記念競走でGI初優勝。2000年に、戸田競艇場で行われた第47回全日本選手権で、3周1マークまで競い合った末、SG初制覇。現在までSG1勝、GI5勝をあげているが、これはすべて、戸田競艇場で行われたSG・GIでの優勝である。

この通り、(埼玉支部のホームプールである)戸田競艇場での高い競走実績を持つ事から、「戸田天皇」の異名を持つ。現役の埼玉支部の選手の中でも、一般戦も含めた戸田競艇場での優勝回数が一番多い。

人物・エピソード
ハイテンションな一面がある。2006年に、戸田競艇場で行われた第33回笹川賞競走(笹川賞)では、ドリーム戦選出。ドリーム戦出場者インタビューでは終始テンションが高く、会場の笑いを誘うようなコメントをしていた。また、SG初勝利をあげた埼玉支部の選手の水神祭では、一緒になって水面に飛び込んだり(1人で3回も水面に飛び込んでいたという)、1000勝を達成した埼玉支部所属の滝沢芳行の公開水神祭では、戸田競艇場のマスコットである「ウインビー」の着ぐるみを着て大はしゃぎをしていた。
2ちゃんねらーとしても知られ、過去にG1・SGの開会式で2ちゃんねる用語を多用した挨拶を何度も行っている。このため、2003年には2ちゃんねらーの間で「池上裕次を笹川賞のファン投票で1位にしよう」という運動が行われ、これに感謝した池上が笹川賞の開会式で「さいたまさいたまバッヂ」をファンにプレゼントしたこともある。

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池千夏

池千夏(いけ ちなつ、1971年11月2日 - )は、愛媛県今治市出身の競艇選手。 登録番号3509。身長167cm。血液型A型。67期。香川支部所属。師匠は重成達郎。

来歴・人物
1990年11月鳴門競艇場でデビュー。初優勝まで10年近くを要したが、苗字の通りイケイケな早いスタートから長身を活かした豪快なモンキーターンで、今では女子競艇界の主力選手の一人である。開会式ではユニークなパフォーマンスで観客を楽しませている。

経歴
1990年11月23日 鳴門競艇場でデビュー。デビュー戦で初勝利。
1992年6月13日 鳴門競艇場で初優出。
2000年9月28日 徳山競艇場・女子リーグ戦競走で初優勝。
2005年3月6日 大村競艇場・女子王座決定戦でG1初優出(2着)。

人物・エピソード
元々、プロのスポーツ選手志望だったが、父親に競艇選手という職業があると教えてもらったのが競艇選手を志すきっかけ。
選手になってから身長が5センチ伸びた。
ウェルシュ・コーギーを飼っていて、自分のヘルメットには愛犬の絵が描かれている。
2006年JAL女子王座決定戦競走の開会式選手紹介では、「大池太夫」と称して小梅太夫の芸のマネをした。本家よりも面白いとの評判であった。
2006年4月に蒲郡競艇場で行われた女子リーグ戦「夜の女王決定戦」で優勝、そして同年8月大村競艇場で行われたオール女子戦「真夏の女王決定戦」でも優勝と、(サブタイトルではあるが)2つの「女王」の座に輝いた。ちなみに、女子王座決定戦はまだ優勝していない。
2007年女子王座決定戦の開会式選手紹介では、地元愛媛出身のテノール歌手秋川雅史のヒット曲「千の風になって (秋川雅史)」にならった「千夏が女王になって」を歌った。開会式の時間が余っていたのもあり、アンコールという事で再度同じ歌を歌った。

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飯田加一

飯田 加一(いいだ かいち、1949年10月9日 - )は、東京都武蔵野市出身の競艇選手。登録番号2679。身長166cm。血液型O型。36期。東京支部所属。

経歴・人物

競艇選手では異色の大卒(東海大学理学部物理学科卒業)の経歴で、当時としては大卒競艇選手の第1号であった。もともとは航空物理学を専攻し、日本航空・全日空のパイロット試験に身長が足りずに不合格となり、競艇界に進んだ変り種。現在は、競艇選手になるには4年制大卒だと年齢制限規定を超えるため、4年制大卒で競艇選手になるには、飛び級で大学を卒業しないと2008年度までは不可能だったが、2009年度から競艇選手募集の年齢が30歳まで引き上げられた。
元々は天文学をやりたかったとのことだが、日本で天文学を学べる大学が少なく、自らの学力では入学が難しいと判断して物理学の方向に転向したという。しかし物理学に進んだのは本意ではなかったことから、レーサー・パイロットの分野に関心が向くようになり、「養成費が無料」という点に惹かれて競艇選手を志したと語っている[1]。
大学時代に物理学を専攻していた事もあり、モンキーターンと言うテクニックを初めて使った選手。このモンキーターンはウィンドサーフィンのレースにおける選手のテクニックからヒントを得たもので[1]、今でこそ当たり前のテクニックになっているが、当時としては珍しいテクニックだった。
一時期、病気で戦列を離れていた。このとき、飯田は競艇誌のインタビューで「動物が大好きだから、ムツゴロウ王国で勤務させてもらおうと思っていた」と語っている。
芸術センスに長け、歌手としてインディーズレーベルでCDを多数出している他、作曲家として選手のイメージテーマを作曲したり、水墨画はプロ顔負けの腕前で水墨画の個展を開くほど。2007年2月5日、多摩川競艇場で飯田の次男と、支部の後輩の小林拓児の3人で「モンキーターン」という一日限定のバンドを組んでミニライブを行いオリジナル曲を披露した。
趣味の1つにけん玉があり、初段の腕前もある。そのスタイルは競艇の時同様真剣な眼差しである。本人いわく、集中力を養うためはじめたそうだ。

活躍
現在の競艇界でモンキーターンする選手が多数いることをみても、飯田加一の業績は大きいことはいうまでもない。しかしながら、飯田加一自身は長らくタイトル制覇は出来そうで出来ない選手であった。しかし1992年、ついに多摩川競艇場にて関東地区選手権を制したことによりタイトルホルダーの仲間入りを果たした。

関東地区選手権競走 (1992年:多摩川競艇場)
三国周年記念競走  (1992年:三国競艇場)

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安藤大将

安藤 大将(あんどう ひろまさ、1962年12月6日 - )は、奈良県出身の元競艇選手。 旧名は、安藤 千夏(あんどう ちなつ)。登録番号は3145。第54期生。師匠は、長嶺豊。性同一性障害を公表したことで有名。

経歴・人物

旧名から判るように、出生時は女性であった。

1984年に旧名である「安藤千夏」の名前で、女子選手として住之江競艇場にてデビュー。
1998年に住之江競艇場で行われた「第9回大阪スポーツ賞アクアクイーンカップ」にて初優勝を飾る。
2001年に性同一性障害であると診断される。
2002年に名前を「安藤大将」に改名し、乳房切除手術を受け、男性選手として再デビュー。
性同一性障害の選手に関する記者会見の開催結果について (2002年3月28日 競艇オフィシャルWeb)
2004年の津競艇場でのレース以降は静養に入る。
2005年に引退を表明。
登録3145号 安藤大将選手(奈良)が引退 (2005年9月8日 競艇オフィシャルWeb)
引退後は、テレビや講演等に出演。また、自身の性同一性障害を書いた著書 『スカートをはいた少年』 をブックマン社から出版した。

2008年9月28日より、山本隆雄氏率いる日本霊能者連盟の千日前道具屋筋鑑定室で、鑑定師(霊能者)として働いている。

不祥事
2007年9月27日、銃刀法違反容疑で現行犯逮捕。警察には「自分で絵を描いて売っている」と“自称・絵画販売業”を名乗る。逮捕時はジャージーの上着にシーパン姿で車内には子犬1匹と、歯ブラシなども置いてあり、車内で生活していた形跡があった。

著書など

単独での著書
安藤大将・著 『スカートをはいた少年 -- こうして私はボクになった』 ブックマン社、2002年12月 ISBN 4-89308-506-9

対談など
虎井まさ衛・編・著 『語り継ぐトランスジェンダー史 -- 性同一性障害の現在・過去・未来』 十月舎、2003年7月 ISBN 4-434-03330-1
虎井まさ衛との対談を収録。
翔野塁・原作、坂井トオコ・漫画 『ありがとう千夏 -- 性同一性障害 競艇選手・安藤大将物語』 (ワイドKC kiss) 講談社、2003年8月 ISBN 4-06-337527-7
安藤のカミングアウト前後の状況に取材。安藤へのインタビュー、安藤と吉永みち子との対談も収録。

出演
NNNドキュメント'02 『カミング♂アウト ~女から男へ…安藤大将という生き方~』 (2002年7月14日放送、読売テレビ制作

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阿波連二美子

阿波連二美子(あはれん ふみこ、1970年6月27日 - )は、沖縄県出身神奈川県在住の競艇選手。 登録番号3525。身長155cm。血液型O型。68期。東京支部所属。二児の母親である。B1レーサー。

来歴
1991年デビュー。デビュー以来(二度の産休を挟みながら)目立たない地味な成績が続いていたが、2003年9月に宮島競艇場で行われた女子リーグ戦競走第13戦でデビュー初優出。その頃を期に成績も上昇し、2005年後期はデビューして初のA2級となった(2006年前期もA2級)。2007年の女子王座決定戦の出場選手選考は僅かながら得点が足りずに補欠1位となったが、高橋淳美選手が欠場届けを出した事により、繰り上がり出場が決まった(4年連続5回目)。

人物・エピソード
スタートは遅いものの、最後まで諦めない気持ちと鋭い小回りターンで順位を上げていく捌き型の選手である。
3着になる事が非常に多く、二連対率と三連対率の差が非常に大きい。
明らかな年下選手相手でもコースを取りに行かない、逆にコースを取られてしまうなど性格的に控えめな面があり、その点を克服すれば初優勝も現実のものになるであろうと言われている。
一瀬明、佐藤雄治らと川崎スクーターズというペラグループを組んでいる。
同期で同学年の笠野友紀恵選手と仲がよく、2006年のJAL女子王座決定戦競走選手紹介式では出場出来なかった笠野選手に向けてメッセージを発した。
競艇オフィシャルサイトのダウンロード出走表では「阿波連二」と男性のような名前で表記されるために、某掲示板では阿波連選手のことは「アニキ(兄貴)」という愛称で呼ばれている

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足立かなえ

足立かなえ(あだち かなえ、1984年8月20日 - )は、千葉県市原市出身の、競艇選手。登録番号は4341、96期生。東京支部所属。身長157cm、血液型はB型。現在千葉県市原市在住。父、母、兄との4人暮らし。師匠は石渡鉄兵、作間章。

来歴
千葉県立市原緑高等学校卒業後、3回目の受験で合格。96期生としてやまと競艇学校に入校。やまとでの成績は勝率:3.91、2連対率:15%。初出走は2005年5月に平和島競艇場第5回日刊ゲンダイ杯にて5着。初勝利は2005年11月にびわこ競艇場で行われた「第16回GIIIびわこプリンセスカーニバル 女子リーグ戦第16戦」の4日目の11月16日の6レース。決まり手は6コースからの「抜き」。3連単の配当は128,560円で120組中119番人気だった。

人物、エピソード
競艇選手を志したのは元競輪選手である父の勧め。ちなみに作間章と知り合ったきっかけは、父の競輪選手の先輩が作間章の父と仲が良く、足立のことを頼んでくれた。
2006年5月に多摩川競艇場で行われた「GIIIモーターボートレディスダービー」の選手紹介式にて選手宣誓を行い「私たち、萌え萌え48名は、最終日まで、ご主人様のご来場・ご指名を心よりお待ちしております」と宣誓、場内の笑いを誘った。宣誓文は金田幸子に相談して作った。
名前の「かなえ」の由来は「わらべ」の倉沢淳美演じる「萩本かなえ」から。
目標とする選手は寺田千恵や濱村美鹿子。
好物はチョコレートとせんべい。苦手な食べ物は野菜。
愛読誌は「ViVi」や「sweet」。出没スポットは「ららぽーと」や千葉駅前の「そごう」など。
現在実家では、足立の父と母が二人で花屋を営んでいる。好きな花は「ひまわり」。

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赤岩善生

赤岩善生(あかいわ よしお、1976年2月8日 - )は、愛知県出身在住の競艇選手。 登録番号3946。身長169cm。血液型A型。82期。愛知支部所属。A1レーサー。

来歴・人物
愛知県立岡崎東高等学校卒業。航空自衛隊に入ったが、競艇選手を目指して受験し合格、1998年5月にデビューし、1999年12月に下関競艇場で初優勝を飾るとその後は毎年コンスタントに優勝を重ねその数は30回を超えたものの、大レースの優勝は無し。しかし、2006年12月住之江競艇場・賞金王シリーズ戦でSG初優勝。

人物・エピソード
格闘技に長けており、長年続けてきた空手の他、銃剣道・柔道でも有段者でもある。格闘技で培ってきた「心技体」や礼儀を競艇でも発揮しており、「心技体」の中でも特に「心」を重要視している。
高校時代はいつも短ラン着用だったらしい。 
宇野弥生を弟子に取り、プロペラや技術的な面の面倒を見ていた。

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